Roadmap Lessons を手がかりに   教育と情報化社会の問題を考える                           関 口 礼 子 ここに紹介するRoadmap Lessons というのは、インターネットの使用法に関 するインターネットを通じて行われた講習会の授業である。1995年の2 月9日から3月17日までの、6週間をかけて行われた。6週間といえば、 北米の大学の集中授業のハーフコースの期間に相当する。Eメールで毎朝教 材が送られて来て、各人それを読んで勉強し、指示にしたがってあちらこち らアクセスして、学んだことを実地に試してみるという方法をとっている。 授業の配布がEメールによるので、最低Eメールを使えなければならないが、 Eメールが使えるだけという人を対象に、懇切ていねいに説明し、インター ネットをいろいろの方法を使って自由に泳ぎ廻れるまでに導いてゆく。 実は、これは、アラバマ大学から配送されたものであるが、大学の正規の授 業ではない。いわば公開講座のようなもので、だれでも自由に参加できる。 第1回目は、1994年に行われたが、たいへん好評で、繰り返し行われ、 第3回目までに、なんと77ヶ国から、62,000人の人がこの講習を受けた。 第4回目の講習会は、1995年2月9日(木)から、3月17日(水)に かけて行われたが、この回だけでも、世界中から 80,000 人が受講登録をし、 どうにもさばききれなくて、そこで受講登録が打ちきられた。毎日、一つづ つファイルが受講者にEメールで送られてきて、受講者はそれを読んで勉強 し、自分で実地にいろいろアクセスして実習するという形式のものであった。 ちなみに、この講習会は、無料である。 この翻訳版は、各人が自分で取りよせて勉強する仕組みにしてあるが、もと もとの講習会は、毎日、1つづつレッスンが送られてきて、少しずつ自分で 読んで勉強し、その指示に従って試して練習してみるというやり方である。 それでは、このように受講者を集めた、 Roadmap Lessons の講習会を企画 したパトリック・クリスペンという人物は、いったいどのような人物なので あろうか。実は、おどろくなかれ、学生である (27歳にはなっているが) 。 かれは、文中でも見られるように、父親に、学資を送ってもらう連絡をする ためにEメールを使おうと、システム使用の登録をしたそうである(MAP07)。 50歳代の人までならば、経験あるであろう。昔の「カネオクレ」という電 報の現代版である。父親は、このレッスンの MAP07ネッチケットのファイル を書いており、NASAに勤めていて、前から、Eメール使っていたらしい。 現代版「カネオクレ」のために登録をしたが、パトリックは、次第にインタ ーネットにのめり込んでゆくことになった。夜勤のアルバイトをしていると きに、目の前に使えるコンピュータがあったからである。そして、ついには、 この講習会を企画するにいたっている。講習会を計画した動機のうち大きな ものは、少しでもこうした業績を残しておけば、卒業したとき就職に有利で あろうということであったらしい (Map27, 翻訳は省略) 。ちなみに、彼は、 現在の大学に入前に、United States Space Camp で、Simulations Director として働いていた。Space Academy Level II Program の設立者の一人であ る。 これらのことは、情報化社会についてのいろいろなことを示唆してくれる。 Roadmap Lessons を手掛かりに、情報化社会の問題を少し考えてみよう。 先ず第1に、インターネットは、一夜にして、世界的な名士を作り上げると いうことである。よい情報を流せば、である。Roadmap Lessons がこれほど の人を集めたのは、「勉強するのになにかよい方法は」というインターネッ トに現れた問いあわせにたいして、繰りかえしいろいろのひとから、Roadmap Lessons がよいと推奨されたということがあったからである。この前には、 "Dr. Bob" Rankin の Accessing The Internet By E-Mail: Doctor Bob's Guide to Offline Internet Access" というのがよく推奨されているのが目 についていた。これは、講習会ではなく、自分で読んで勉強するために、E メールや ftpで取りよせられる電子資料である。こうした、優れた資料を作 成して提供し、評判を取れば、その人が現在もっている肩書とは関係なく、 たちまちにして評価され、その名が世界的に知られることになる。 これは、逆のこともありうる。わたしの登録しているネットグループで、あ る一つのドメイン名をもったさまざまな人々から、繰り返し、質の悪いメー ルが送りだされたことがあり、とうとう別の大学であるそのネットグループ のオーナーから、そのドメインの人の参加を断わりたいという提案がなされ たことがあった。結局は、一部の人のためにその組織の人全体が罰せられる のはよくないという反対論もあって、そうはしなかったようであるが、その ドメインからのメールはその後パッタリ止まったから、大学としてもなんら かの対策をとったらしい。しかしそれまでの間に、こんなひどい質の学生を 有している大学もあるのだということを全世界に知らしめてしまったことも 事実である。 インターネットは、今までとはまったく異なる、人や集団の評価の方法をも たらしているのである。 第2に特筆したいのは、Roadmap Lessons の原作者は、コンピュータ科学や 情報科学の専攻者ではなかったということである。彼の専攻は、経済学であ る。これは、コンピュータやインターネットが、コンピュータ科学や情報学 を専門としている人々の専有物ではなくなったということを意味している。 Roadmap を見れば、その内容が、コンピュータ科学や情報科学の技術的なこ とのみに限定されず、インターネットにおける広告の問題から、ネット上の エチケットにいたるまで、社会的な事象も幅広く言及しており、それがまた、 この講義を豊かにし、成功させた理由でもある。各ファイルの冒頭に掲げら れているエピタフだけを見ても、彼がいかに幅広い知識を持っているかが見 てとれる。もっとも、その幅広さとユーモアの故に、翻訳者たちは、翻訳の ときにだいぶ悩まされ、苦労したようであるが、それらが、無味乾燥な技 術的な講義になりがちなのを救っている。 一方、コンピュータの勉強はと言えば、かれは、Eメールのアカウントを取 ったのは、1992年で、講習会を最初に開催したのは、1994年7月で ある。彼のインタ−ネット歴は、そう長くはない。たった2年にすぎない。 いかにコンピュータにのめり込んでいたとはいえ、それだけのキャリアでも って、これだけの人を集める講習会が開けたのである。この短いコンピュー タキャリアが逆に、初心者を対象としたこの講習会の成功をもたらしたとも 言える。専門家の、専門家どうしだけしか分からない難しい説明ではなく、 自分が初心者だけに、初心者には何を説明しなければ分からないかを把握し て、分かりやすいように説明をしている。また、大勢の初心者のする間違い を、くどいほどなんども注意している。自分自身が初心者であった時期が近 かったという経歴がフルに生きている。 このように、コンピュータやインターネットが、今、コンピュータ科学や情 報学の独占物ではなく、それらの分野から出て (もちろん高度なことに関し ては、その分野のものであろうが) 、その他の領域にも幅広く地歩を占める にいたったということがみてとれるのである。 第3に、コンピュータが今いろいろな領域で活躍するにいたったが、Roadmap Lessons が業績をあげたのは、教育の領域に関する業績である。教育といっ ても、正規の学校教育ではないので、日本流に言えば、社会教育や生涯学習 の領域に属する事柄である。 先述のように、この講習会のの受講者の数は、今までの教育の規模とは異な ってとてつもなく大きい。この翻訳をするに当たって、私は、インターネッ トを用いて翻訳ボランティアを募集したが、応募してくださったなかにも、 「実は講習会に自分も応募したのだけれど、定員超過ではねられて」という 方もおられた。また、図書館情報大学のコンピュータから、英語の原文もE メールで入手できるようにしてあるが、そのアナウンスをするやいなや、す でにかなりの方が、引き出しておられるのが見てとれる。こうしたことを考 え合わせると、実際に受講をした人以外にも、相当多数の人が、このRoadmap Lessons を得て、インターネットの使い方を勉強している、ということが言 える。もっとも中には、取りよせただけで、読まないひともいるではあろう が、それにしても、その教育的効果はとてつもなく大きい。 さらに、特筆に値するのは、その方法である。Roadmap Lessons は、どこか の学校に出かけてゆくのではなく、居ながらにして、講義が受けられるとい う仕組みである。このような教育の方法が、もっと普及した暁には、今まで の教育のありかたや意味に大きな変更を加えることが予測される。 その1つは距離の克服である。Roadmap Lessons は、77か国からの人が受 講した。さらに、時間の克服がある。世界中、時差に関係なく配送されてい る。朝見て、と企画はされているが、その時間帯がその人にとって都合が悪 ければ、送られてきたファイルをセーブしておいて、自分の都合のよい時間 に勉強するということも可能である。一定の時間帯に、学校や特定の場所に 行かなければならないという時間的制約と距離的制約から完全に解放されて いる。 Roadmap Lessons は、日本流に言えば、社会教育や生涯学習と考えられる領 域で行われたが、単位制のしっかりしている大学や、単位制を取っている国 のハイスクールでは、このような方法を学校教育に応用することは、いとも 簡単である。事実、筆者が1995年夏、カナダに行って、相当数の大学の 講義が、すでにインターネットを使って行われているのを見てきた。こうな ってくると、距離の克服は、自分の住居にいながら、外国の大学や外国の高 校の授業を受けて卒業する、ということも、現実的になる。 教育は、従来対人行為であると言われてきた。情報化社会では、このように、 知識の伝達が、人から人へというばかりでなく、コンピュータとネットワー クを通じても有効に行われるようになる。とするならば、現在のような集ま って行われる学校教育や社会教育、すなわち、人と人との直接的接触を主と して行われる教育の意義は、どう変わってくるであろうか。知識の伝達に限 定するならば、コンピュータは有能である。そのようなとき、集まってする 学校教育や社会教育に別の面が強調されてくることは考えられよう。いった い「学校教育」や「社会教育」は、なにを使命とするようになるのであろう か。少なくとも、将来、「教育」についての考え方にひじょうに大きな変貌 がもたらされると予期されることは確かである。 最後に、コンピュータとインターネットの普及した情報社会、電脳社会の問 題に触れておきたい。 翻訳のメンバーは、「翻訳関係者一覧」を見て下されば分かるとおり、文字 通り、日本全国にわたっており、また、遠く、カナダやアメリカからも参加 してくださっている。こうした、距離の克服が、教育のところでも述べたよ うに、インターネット社会の1つの大きな特徴である。翻訳作業のまとめ役 としての私のメンバーに対する指示は、インターネットを通じて行われたし、 メンバーの翻訳はインターネットを通じて返送されてきた。メンバー相互に 原稿を交換して読みあったりも、みな、インターネット通じて行われた。ま た、アメリカにいる原作者と著作権、翻訳権の交渉、内容に関する分からな いところの質問等も、インターネットを通じて行われた。どんなに距離が遠 くても、相手がコンピュータのメールボックスを見さえすれば、返事は短時 間で戻ってくる。まさに、教育のところでも述べたように、距離の克服であ る。 そのような便利さにも係わらず、翻訳が着手されてから公開されるまでに相 当の時間がかかっている。翻訳を行うというボランティア募集の第1回のメ ールを発送したのが3月、原文の方を図書館情報大学から公開したのが4月、 翻訳し終わって公式に公開のアナウンスをしたのが7月上旬(すでに、その 前から翻訳途上の公開はなされていたが)、現在の版を公開したのが8月で ある。 それは、たった35人に満たない翻訳集団であるが、翻訳上の問題の他に、 現状では、35台のコンピュータが動けば、つねに、どこかでなにか起こっ ている状況だったからである。 その1つは、まったくの人為的な理由である。アメリカからもカナダからも、 一昼夜もあれば返事が戻って来るのに、私のところのごく近くにいるメンバ ーからは、翻訳がなかなか届かないということがあった。電話で催促をしな ければならなかった。本人がコンピュータを開いてくれないことには、どう にもならない。翻訳はそうそうにできているにも係わらず、機械の使い方が よく分からないということでもあったようだ。また、別の問題では、ちょう ど3月の人事移動の時期にかかってしまったので、新しい職場で、登録の手 続きがなかなかできない、というようなこともあったようだ。これも人為的 な問題である。 2つ目は、システム管理上のものである。ちょうど図書館情報大学のコンピ ュータが、システムのバージョンアップのために止まるというようなことも あった。プリンターが不調でプリントアウトができないとか、あるところの コンピュータからは、送ったメールがときとして送り返されてしまうという ようなこともあった。また、文字化けをして読めないというようなことも起 こっている。現在のシステム稼働の状況では、35人もいれば(35か所の コンピュータを使っていれば)、つねにどこかで、何かが起こっているとい うのが、実感であった。 3つ目は、プログラミング上の問題である。この作業中に起こった実例を挙 げてみよう。Roadmap の原文の配布を、翻訳に先立って行った。プログラム は特別に組んでもらった。アドレス roadmap-original@DL.ulis.ac.jp に、 所定のコマンドを書いてルを送れば、原文ファイルが自動的に送られてくる ようになっていたはずである。プログラムを組んだ人は、メールのアドレス は、大文字・小文字いずれでもよいようにしたつもりであったが、しかし、 実際は、DLの部分が大文字であれば機能するが、小文字で、dlとなっている と機能しないようになっていた。大文字なら機能するので、そこにプログラ ムミスがあったことに気づかなかった私は、大文字でメールを送るように指 示していたが、あるところのコンピュータは、発信者が DL と入力しても、 通常アドレスは大文字小文字を識別しないので、自動的に dl に変えて送り 出すようにプログラムされていた。ということで、その人の場合、どうして もファイルが取りよせられないということが起こっていた。今は、大文字小 文字いずれでも取りよせられるように直してもらってあるが、このよに、コ ンピュータのプログラムが、今日、きわまりなく複雑になってくると、それ らの複雑なものに、どこか1ヶ所でも意表をつくようなこと、あるいはミス が行われていると、すべてがまったく機能しなくなってしまうということが 起こってしまうのである。本人は、配達報告付で送り、届いているつもりで いたが、こちらには、さっぱり付いていないということも起こっている。あ るいは、現在のレッスンの配付についても、注文に応じて自動応答でファイ ルが届けられるようになっているが、注文者の側の配信のアドレスが付け違 っていて、注文者に届かずにエラーになって戻ってくるということもかなり のところで起きている。 これら3つのレベルの問題のいずれか1つのどこかに問題が生じても、情報 化社会では機能がストップしてしまう。コンピュータは、有能であるが馬鹿 である。プログラムされた通りにしか動かない。コンピュータによって作動 されているネットワーク社会では、ちょっとしたことでも予期しないことが 起きたとき、大混乱に陥ることは、大いに予測されるのである。 これからの社会では、すぐれたコンピュータ環境の設備と、コンピュータリ タラシの育成は不可欠である。ますます多くの情報がコンピュータを通じて 配布されるようになるであろうから、少なくともコンピュータが使用できる かどうか−−機械を備えているかどうか、その機械がインターネットに接続 されているかどうか、自分の所属するインターネットサービス提供者がどの レベルのプログラムを用意しているか、かつ自分自身がコンピュータを使っ てそこに蓄積されている情報を取りだしたり、セーブしたり、送りだしたり できる最低の能力を持っているかどうか−−というようなことで、生活が大 きく変わる。 もともとの、Roadmap Lessons の講義は、現在ではもっと高度で便利な方法 があるにも係わらず、インターネットのもっとも単純な方法、Eメールのみ で、しかも文字情報のみで、レッスンを配布する方法をとった。すぐれた環 境を持たなくとも、できるだけ多くの人が受講できるようにとの配慮である と思われる。この翻訳版についても、同じく、テキストファイルで、Eメー ルで取りよせられる方法を、私は敢えて選択させていただいた(WWWでも 公開されているが、こちらの方はこのため、取りよせる人のビューワーによ っては、やや見苦しくなっていることもある)。それは、最低Eメールさえ 使えれば、たとえ高度な接続環境を持っていなくとも、これを利用していた だけるように、と考えたからである。翻訳の過程でも、インターネットのみ ならず、電話や手紙などの、旧来の情報手段も併用せねばならなかった。 たとえ便利にコンピュータやインターネットを使いこなしても、それのみで 自分の生活がすべて処理される訳ではない。また、社会には、新しい技術を 学ぶ機会を持たなかった人々も大勢いるものである。そして、それらの人の 方がマジョリティであることが多い。社会では、いろいろの人と共存しえて のみ、人間は機能しうる。新しい技術を学ぶ機会に恵まれた人は、その機会 を持たなかった人のこともつねに考えねばならない。機械が便利になっただ けに、現代では、機械に依存しない、人間が持つ人間本来の知性と感性磨き、 発揮する必要が、今までにも増してきている。 最後に、この Roadmap Lessons の翻訳は、講習会の終わったばかりの3月 19日(現地時間)、パトリック・クリスペン氏から、翻訳、配布の許可を いただいて行ったことを付け加えておきたい。翻訳の過程で、クリスペン氏 や、その他のこの中で引用されている執筆者たちは、分からないところなど の質問にていねいに答えてくれた。また、この翻訳のためのメーリングリス トの管理その他では竹居哲郎、染谷勝氏にお世話になった。そして、コンピ ュータの提供は、田畑孝一、杉本重雄氏の好意によるものであり、配布プロ グラミングやその後の技術的な管理などは、もっぱら阪口哲男氏が引き受け てくれて、筆者にていねいにそのやり方を教えてくれた。また、藤原祥三氏 は、筆者と並んで、翻訳全文に目を通して下さった。筆者はまとめ役をさせ ていただいたが、ここで公開されている日本語版は、ここにお名前をあげて いない方々を含めて、大勢の方々の好意の共同作業であることを付け加えて おきたい。